タマモクロスが旧四歳時に突然強くなった理由は何でしょうか?
あるいはそれ以前は力を発揮出来なかった理由は何でしょうか?
私的にはいくつかの理由が重なったのだと思っています。
1.デビューの時期や血筋からして、「現3歳クラシックとは縁遠い」と調教師も騎手も考えていた。
3月デビュー、ダート戦、逃げ先行など、450kg以下の小柄な馬格なのに、父シービークロスの良いところを全く生かしていない。
2.調教師も騎手も3流で、馬自身に運が無かった。
南井克己師はタマモクロスと巡り会えていなければ、3流ジョッキーのままナリタブライアンにも乗れていなかったと思います。
ナリタブライアンの2歳時の敗戦の多さはとても3冠馬とは思えないが、下手糞の南井師ならば納得。
3.馬が成長した4歳秋に松永幹夫師が乗ったときに、長く切れる脚を使って素質の片鱗を見せた。
4.4歳最後の鳴尾記念で53kgの軽ハンデはハンデキャッパーも低評価であったが、逃げ馬が残る展開で「メジロデュレン(前年の菊花賞馬)」や「ゴールドシチー(同世代皐月賞2着、ダービー4着、菊花賞2着)」を相手に正攻法で後方から鋭い脚で差し切った。
これで騎手も調教師もやっと、この馬の良いところが解ったのだと思います。
その後の活躍は周知の通りですね。
父のシービークロスは「サクラショウリ(昭和53年ダービー馬)」と逆配合(フォルテノ×パーソロン)で切れ味の血統です。
シービークロスもサクラショウリもまた、騎手に恵まれず、「超一流」にはなれなかったのは奇遇です。
タマモクロスは「きゅうりに割り箸を刺した馬」と言われるぐらい線の細い馬でした。
また、他馬や馬運車を怖がるなど精神的にも脆い部分も持ち合わせてました。
デビュー戦は芝のレースを使われたものの惨敗の結果を受け、ダートの方が適性があるものと判断され、その後はダート戦を主に使われる事となりました。
しかし、四歳秋になり主戦の南井騎手から「そろそろ芝を使ってみましょう」と進言されました。
芝2200mの400万下の条件戦を使うと7馬身差の圧勝でした。
それからの活躍はご存知の通りでしょう。
連勝を重ねて行く過程で菊花賞や有馬記念などを無理に使わなかった事も馬の成長を促す上で良かったよものと思われます。
厩舎関係者の好判断と言えるでしょう。
また、父シービークロスを種牡馬入りさせるのに尽力を尽くした錦野牧場場主、錦野昌章氏の眼力にも驚かされます。
牧場のかまど馬であるグリーンシャトーに当時まだ未知数であったシービークロスを付け成功を願いました。
そして産まれたのがタマモクロスであります。
その際に「一世一代の傑作になる」と語られました。
結局、タマモクロスの活躍を待たずして錦野牧場は閉鎖されましたが、錦野氏やその家族の思いも背負いタマモクロス走っていたのかもしれません。
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